「気が付いたらって言うか、一目でだったね」
不図、目に入った女性向き雑誌の表紙に書かれていた文字を読み、リョーマは「自分の時はこうだった」と、独り言にしては大き過ぎる声を出していた。
今日は部活の無い日曜日。
いつもなら大好きな恋人とラブラブして過ごすのが当たり前なのに、今日に限っては独りきりなのだ。
大好きな恋人である手塚国光は、昨日から久しぶりに父親と2人きりで山登りに行っている。
以前から誘われていた手前もあり断り切れなかった、と金曜日に謝ってきた。
「明日から父と山に行って来る」
この日もいつも通りに手塚の家に向かい、いつも通りの行為をした後、ベッドでまったりと時間を過ごしていた時に、本当に申し訳無さそうな顔をしながらリョーマに明日からの予定を告げた。
「せっかくの休みなのに、すまないな…」
理由までをも事細かに話し、最後に謝ったのだ。
「久しぶりの父と息子の水入らずなんだからさ、親孝行ついでに行って来たら?」
謝罪ばかりの手塚に対し、リョーマは素っ気無いほどの対応だった。
付き合って二週間後、初めて手塚の自宅へお邪魔した際に、趣味が『登山』、『釣り』、『キャンプ』だと知った時は「へー、アウトドア派なんだ」と、その時は別段気にもしないでいた。
それが父親の影響だったと知った時には、少しだけ申し訳ない気分になったのだ。
リョーマにこういった経緯がある為『たまにはいいかもしれない』と、自分なりにそう判断した上での答えで、決して『やっぱり山の方が好きなんだ』とか『俺を置いて勝手に行けば』などの卑屈な考えは全く無い。
本当に手塚の為に、と思っていただけ。
「親孝行か…」
「うん、お父さんも寂しいんじゃないの?いっつも俺が国光を独り占めしてるからさ」
手塚の広い胸に顔を乗せていたリョーマは、少しだけ顔を上げてペロッと軽く舌を出した。
悪戯が大好きな小悪魔のように、魅惑的な笑顔を見せてから視線を合わせる。
こういう仕種が『可愛い』と手塚は思う。
顔を上げたリョーマの頭を大きな手で撫でると、手に力を込めて、再び胸元に引き寄せた。
「俺はお前と一緒にいる時が一番幸せだと感じているんだ。本当にすまない」
髪にキスを落とし、またも謝罪の言葉を放つ。
実の親と出掛けるのなら謝る必要なんて無いのに、手塚にとっては実父よりもリョーマ。
手塚にはリョーマ以上に大切な存在はいない。
「ありがとね…」
真剣な眼差しにほんのりと頬を染める。
何時だって自分を大切にしてくれる。
誰よりも何よりも一番にしてくれる。
想いの全てを向けてくれる。
好きなのはお互いなのに、自分の想いは負けていないと思うのに、何だかいつも負けている気がする
『好きになったほうが立場弱いよね』
何時だったか、クラスメイトの女子が言っていた言葉が時々頭を過ぎる。
あの時は、「何を言ってんだか…」と、気にも留めなかった言葉だったのに。
自分達の恋には、勝ち負けなんてものが無い。
二人ともが同時にこの恋に落ちたのだから。
手塚はいつも自分を一番気に掛けてくれるから、自分も出来るだけ独り善がりな恋にならないように気を配る事を忘れない。
まだ中学1年生なのに、大人のような考え方をしてしまうのは、きっと同じ中学生でも、あまりにも見た目も思考も大人びたこの恋人の影響なんだろう。
「……リョーマ、愛している」
「国光…大好き…」
自然に重なる唇は、触れるだけキス。
チュッと音を立てて交わされる軽いキスは、2人にとっては挨拶程度の行為。
「行ってらっしゃい…気を付けてね」
「あぁ、土産話でも楽しみにしていてくれ」
再び重なり合う唇は、先程の触れるだけの口付けではなく、全てを奪い去るような激しいものだった。
行ってらっしゃいのキスは、たった1泊2日の登山のわりには、かなり濃厚だった。
「一目惚れって言うんだよな」
アレってさ…。
当時を思い出すと、何だか懐かしさが込み上げる。
と、言ってもまだ一年も経っていない。
想像も出来なかったこの恋に身を投じた時は、何もかもが新鮮で、眩しくて、好きな相手の何もかもが気になったものだ。
「…気が付いたら、か…」
リョーマは居間のテーブルに置いてある、普段なら見向きもしないファッション雑誌にかなりの興味を抱いてしまった。
これはきっと菜々子の物だろう。
表紙のモデルの服装は、母親にしたら少し若過ぎる。
「…ちょっといいかな」
きょろきょろと辺りを見回して、誰もいないのを確認すると、脅威のスピードで雑誌を拾い上げ、急いで部屋に向かった。
ドタバタとしていても、誰の声も耳に届かなかった。
どうやら家の中には自分だけしかいないようだ。
そういえば、あのカルピンですら、麗らかな日差しを身体全体に浴びようと縁側から外へ出ようとしていた。
せっかくの日曜日に家にいるのは自分だけ。
何だか空しさが込み上げてくるが、今はそんな事より手元の雑誌が気になる。
部屋に入り、念のために鍵を掛けると、窓を開けて中の空気を入れ替える。
爽やかな秋の風が部屋中に流れてくれば、少しだけリフレッシュした気持ちになるから不思議だ。
「さてと…」
好物の梅味のえびせんべいの袋を豪快に破ると、ベッドに寝転がりながら雑誌を捲る。
初めは最新のファッションなどの、リョーマにしたら全く興味が無いページ。
ファッションにはあまり関心が無いし、男が女物を見たってどうしようもない。
「えっと、この辺かな…」
目的のページを確認すると、一気に捲った。
こういった雑誌を見たのは、生まれてこのかた初めての経験だが、良くある漫画雑誌とは違って、無駄なページが多くて気になる。
「あっ、これだ」
リョーマが気になっていたのは、表紙の煽り文句。
『読者の恋愛体験談』と題打ってある特集。
どうやら今月号だけの特集では無く、毎月必ず組まれているシステムらしい。
そして今回は『一目惚れから始まる物語』と書かれていて、そのテーマに沿った体験談が読者から届けられる。中でも特に面白かったり、感動した体験がこうして雑誌に掲載されるのだ。
「へー、こんなのってあるんだ」
読んでいる内に、次第にのめり込んでいる自分がいた。
黙々と食べながら読んでいけば、最後の体験談を読み終る前にはえびせんべいの袋がすっかり空になっていた
「…ふーん」
結局、特集の最初から最後まで読み終えると、満足そうに雑誌を閉じた。
「…あっ、ヤバい…そろそろ帰ってくる」
ちらりとベッドヘッドに置いてある時計を見れば、かなりの時間が過ぎていた。
どうやら思ったよりも長い時間を読書に費やしていたようだ。
慌てて起き上がり、雑誌を戻しに部屋から出た。
上がった時と同じように急いで階段を下り、居間に入ると、何事も無かったように元の場所に返す。
「…良かった、まだみたい」
とりあえずこそこそと家の中を確認する。
どうやら両親も従姉妹も、帰って来た形跡が無い。
「ふう…」
安堵の溜息を一息だけ吐いた。
「ほわ〜」
「…何だ、カルピンか…こっちにおいで」
急に音がしてビクリと肩が揺れるが、その音は愛猫の鳴き声だとわかり、リョーマはもう一度溜息を吐いた。
「ほわら〜」
家にいたのはカルピンだけで、主人の姿を確認するとリョーマの足元に擦り寄ってきた。
部屋に戻るのも面倒なので、そのまま居間のテレビを見る事にする。
カルピンもその後を追いかけて、リョーマの傍で丸くなり、尻尾だけがふわりふわりと動くだけ。
「ん〜、何もないな…」
どのチャンネルも時間的につまらない番組ばかりで、リモコンのスイッチを次々に切り替えているだけだ。
光る画面は、ただの照明代わりになっていた。
それも飽きてくると、リモコンのスイッチを切って、ごろりと横になれば、リョーマに遊んでもらえると思ったカルピンがリョーマの身体の周りをくるりと回った。
「やっぱり一目惚れって、いろんなパターンがあるんだな…人それぞれってコトだよね…」
甘えてくる愛猫の頭を撫でながら、うんうん、と頷き自分の考えは正しいと判断した。
『道端で目が合っただけなのに、好きになっていた』
『友達の彼氏だったのに、好きになってしまった』
『コンパで一番遠くにいて話もしなかったのに、気になって仕方が無かった』
『どうして好きになったのか今でもわからない』
『好きになったからには、行動あるのみ』
雑誌に載っていた体験談は、すべて女の立場からの体験談だったが、状況的には似ていると実感した。
所詮は恋愛。
男でも女でも、同じように恋愛をする。
誰とするのか、いつするのか、それは人それぞれ。
「恋愛か…」
不図、自分の時と比べてみる。
「俺の場合は…」
目を閉じて、『あの日』を思い出す。
今でも脳裏に鮮明に思い浮かぶ。
「国光が…」
同じ中学生とは思えないほどの容姿。
噂で聞いていた『文武両道』な人物。
何事にも手を抜かない完璧主義者。
そんな人が。
「…俺の世界に入って来た」
入学した学校の先輩と後輩。
入部したテニス部の部長と部員。
それだけの『関係』になるはずだった。
「本当に突然…」
誰もいない校舎の裏庭で。
遅咲きの桜の木の下で。
いきなり『告白』された。
「でも…嬉しかった」
同じ気持ちだった事が、同じ想いだった事が。
「…好きだったなんて」
夢かと思った。
あの桜の木が見せる幻影かと思うほど。
ただそれは夢でも幻影でもなく、現実だったけど。
|